のちの型模様戦争の引き金となった、「このは」の爆発的な売れ行きに自信を持った旭は、その後の新柄開発に励み「雲井」「かすり」「のみち」などを次々と出した。
新柄開発の要請が強くなり、他社の薄型だけではなく、自社の他の柄の売れ行きが激減した。